一般社団法人ADI災害研究所   
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初めての海外支援で官民連携を学ぶ

1996年2月17日14:59

インドネシア東部イリアンジャヤ州のピアク島北方を震源とするM8.1の地震が発生

この地震によって、日本でも四国を中心に津波が来襲し、係留船舶の流出・転覆と、養殖施設の被害が発生しました。
阪神・淡路大震災の翌年であり、災害ボランティアの活動が注目されてきたことから、私は政府の各省庁やJICA、赤十字社との交流が深くなっていた時期でした。

インドネシアからも阪神・淡路大震災の被災地に支援をいただいたことから、お返しをしようと思い、急遽募金活動を始めて1週間で300万円のお金を集めました。
海外の災害支援に直接行くということが初めてだった私は、この後様々な初体験をすることになりました。

まず西宮市を通じて当時の三和銀行に、現地への送金と両替を頼みました。おかげで、現金を持たずに飛行機に乗り、ジャカルタで現地通貨のRupiahに換えてもらえました。
大きな紙袋3個にお札が詰まっているという妙な経験をしました。
二つ目の経験は、武田薬品が2,000人分の日用薬を提供してくれたのですが、現地では普段使っていない薬があるので無くなったら買えないということが問題になり、ジャカルタの日本人会のみなさんが買い取ってくださり、その代金を募金に足すことにしました。
三つ目の経験は、自然にできた官民の連携でした。

JICA、日赤、インドネシアの赤心月社、私が率いる日本災害救援ボランティアネットワークが、ジャカルタの日本大使館に集まり話し合いをしました。
その席で各々の役割分担を決めたのです。
JICAは緊急援助隊の調整と被災地全体の援助物資の提供等を主として行い、赤十字は医療救護と子供たちの健康管理を行い、私たちは23カ所の小学校の再建材料と学用品を調達し、工事職人を60人一か月雇用する費用を赤新月社に託しました。

贈呈式
赤新月社への救援物資贈呈式 右から2人目が筆者(1996年3月5日撮影)


四つ目の経験は、被災地支援は物資を送るよりお金が一番ということを実感したことです。
日本円が強いことも幸いして、文房具を揃えるとき、日本で1本50円のボールペンが、現地では4円で購入でき、大量の学用品が揃えられた。
買い物をしたオランダ系の大型スーパーも、災害救援ということで協力してくれたことを覚えています。
官民の連携ができ、結果として、現地にお金を落とすという経済支援もできました。

現在では、CODEという海外の災害救援団体が発足し、日本からの民間支援の窓口となっています。